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そろそろもう一度
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思い切って手に入れたアアルトの住宅作品集をめくりながら、4年前の北欧旅行を思い出す。
その時の数百枚の写真データを、久しぶりに手繰ってみる。
そして、ふと気付く。
今の目が見たいと感じる肝心なそこここが、写真に全く写っていない。
そうだ、気付かぬうちに、携える物差しが変わっていたに違いない。
そろそろ、また海外に出掛けたいと計画をしている。
今の自分の物差しで、未だ見ぬ世界を量りたい。

写真は、フィンランド、セイナッツァロの村役場。
1950年代、アアルトの手によるもの。
中庭に面したゲストルームでの目覚めはとても素晴らしい体験だったはずだが、
どれもこれもと体験の詳細を思い返せないのは、
その頃の僕の物差しが未だ未だ未熟であった故の、
脳へのインプット漏れに違いない。
by NABE_TK | 2013-04-21 22:02
茂呂山
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春まっ盛り。
この時期、岩山もいいけれど、茂呂山もいい。
雑木の実生がそこここに顔を出す、生命力溢るる山路を行く。
郷土史で読んだ「がっから様」を数年振りに訪ねたのだけれど、
結局見つけられなかった。
by NABE_TK | 2013-04-16 00:59
フレッシュイエロー
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カトレアが咲いた、ヤター。
開いた黄は、ざらざらの、サメ肌の感触。
by NABE_TK | 2013-04-07 22:54
春、雲龍寺にて
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表門と塀は、町場と境内を隔てる装置に違いないが、
その隔ての様相は「分断」でなく「分節」だ。
例えるなら、「。」ではなく「、」。

「、」は、今日のまちにおいて劣勢で、
もっぱら「。」が氾濫気味である。
無機質なシャッター、堅牢な外壁、
高気密のアルミサッシュ、背の高い塀、など、など。
いずれも外部と内部を完璧に二分する「。」的装置だ。

そんな今情に対し、古来の建築装置は「、」が主だった。
木格子や蔀戸、結霜ガラス戸、土足の土間、縁側などがその例で、
内部は外部の延長であり、外部は内部の延長として扱われた。

「、」の「。」化が、今日の町場の殺風景を助長しているように思う。
「。」は、視線の抜けを遮断することでまちの「奥行」を奪ってしまうし、
夕飯の香りや団らんの声など、生活の「匂い」を外路に醸すことも許さない。
これでは、まちに潤いや生気、活気など望めるはずがない。

もっと、「、」を考えたい。
雲龍寺の境内で、そう感じた。



先日、iPhoneを手放し、以前のケータイに持ち替えた。
例の友人も同じ決起に出たようで、その理由もだいたい一致している。
便利で、新鮮で、刺激的だったそれにも、いつしか飽きていた。
もう少し冷静になって、物事の手触りや匂いを、自分の神経に取り戻したい。
by nabe_tk | 2013-04-04 00:36