店蔵と袖蔵が並列する形態は、鹿沼では他に現存例がありません。
後ろに存在していた母屋は既に喪失していましたが、
僅かに残る日本庭園からは、商売町の豪商の生活風景が垣間見えました。
また、敷地内に走る水路は、鹿沼宿往時の人々がどのように生活水を得、
どのような節度とルールのもとに資源を分ち合っていたのかを知る重要な資源でした。
ある意味、中世以降、鹿沼旧市街に商人や住人が集合して暮らした意味や意義、
集合するからこその住居形態が、この旧柳田商店取り壊しをもって、
大きく薄らいでしまったような気がするのです。
今回の取り壊しは、集合の豊かさを持っていた
鹿沼旧市街の全体構成を解体するだけでなく、
節度とルールのもとに集合体を成り立たせるという、
日本人が持っていた生活者としての精神の規範、
それを知るチャンスを失わせる出来事のような気がします。
威厳ある袖蔵の佇まいはkorotyanさんのブログより
http://korotyan27.exblog.jp/5507147/
鹿沼市政との絡み、リアルタイムな情報は、ブログ・鹿沼市政ウォッチングより
http://juntyan.blog46.fc2.com/blog-entry-156.html
鹿沼旧市街の集合の豊かさを知ろうとした試みは、下記リンクよりPDFで
http://www.one.bc9.jp/~wtakaaki/thesis.html