2023.2.6
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着くと予想とは異なる風景、期待の宇和島の段々畑は海の向こうだとgoogleは告げる寒風厳しい静かな漁村.
同行人はナビの設定ミスを悔やむが、一度も来るはずがなかったこの漁村に自分が立っているのはそのミスの先にある.
ミスは予期しない道を開く、ミスが自分を想定の外に連れ出すこともあるのだ、
今回の旅の手触りはこのミスによるところが大だ

# by NABE_TK | 2023-02-06 23:22
2023.1.22
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高知、四万十、黒潮ら高知県を経て宇和島、松山ら愛媛を巡る旅程は僕の2回目の四国、
いわゆる名所はいくつも訪ねたが、引っかかるのはどうも海だ.
海に向かう心の高揚は海無し県で育った者に共通だと思うが
両親や親類が年に一度連れて行ってくれた海の記憶が掛け値になって高揚はますます大きくなる.
この高揚は海の具体的にどこに向かうのか、僕にとってはさらさらとした砂と青という色だ
# by NABE_TK | 2023-01-25 00:00
2023.1.17
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バンドが、例えば、ギターの門脇です、という自己紹介には引っかかるところがあって、
「ギターの」というのは、ギター奏者である前に人間であることとか、
もっと広く言うと父であって、もしくは息子であって、そういうもっと広い世界を引き受けている個人であることが
「ギターの」というごく限定されたコミュニティの肩書によって矮小されている感じがあるんじゃないかということは
『American Utopia』を観れば思う.

そのステージに立つ彼らだが、詳しくは知らないが専門にしている楽器はあるのだろうが
曲によって担当楽器をメンバー間でトレードしたり、楽器を手放したと思ったら次の曲ではダンサーに転じたり
コーラスに回ったりまた同時にステップを踏み行進したりする.
そこには「バンド」や「ギターの」という便宜上の肩書を超えた個人性を全身全霊に開いた表現があって
American Utopiaはそこに感動する

だから、これはリアルな町場の生業についても言える、
例えば、本屋をやっている藤原です、という自己紹介は確かにその通りだが
その「本屋をやっている」というのは彼が社会とかあるいはあるコミュニティの中で負っている役割を説明し切れているのか、
僕が、設計事務所をやっている渡辺です、という「設計事務所をやっている」が「設計事務所」が既に持っている
ある一定の権力に甘えていないかについては自覚的注意を持っていないといけないんだろう、

# by NABE_TK | 2023-01-18 23:40
2023.1.16
一晩、頭の隅に放っておいてみて
「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」というのはしっくりきた感じがする

去年9月、鹿沼東高(母校である)でのレクチャースライドももう一つの立脚点になるかもしれない、
「(建築を)つくる、なおす、まもる」という、建築設計事務所で何をしているのかを説明するために立てた3つだ、
建築をつくり、なおし、まもることが、僕の仕事であると言ったのだった

「しらべる」が入っていない、つくるとなおすとまもるのどれにも「しらべる」はある気がするが
僕にとって「しらべる」は先の3つと同じ重みでそこにある感覚がある、それを言葉にする必要がありそうだ
僕は16年前から、つくる、なおす、まもる前から、そこにある建築を「しらべ」ている

# by NABE_TK | 2023-01-16 18:53
2023.1.15
『鹿沼のスキマ・創刊前夜号』に寄稿した1,300文字のテキストは自分にとって建築とは何かという問いの立脚点だ.
今読むと遭遇するちゃんちゃらおかしいにくすぐったいけれど向き合って、都度チューニングしていくしかないのだ.

「こうして家伝は決まって空間を糸口にして語られた。(中略)人は、空間を通じて先人からの意思を受け取るのである」
「空間は意思の記憶装置」
「メジャーをそこここに当てる、(中略)そこに確かにある少なくとも100年分の「こう生きた」先人の意思を空間を通して発見する。僕は、先人が生きた空間の先に未来を発見している」

こんなくだりに目が留まる、どうやら
先人の思いを未来を繋げ.空間(建築)はその思いを我々そして次世代に伝える翻訳装置だ、という感じのことを言いたそうだが
まだこれは微妙だ、また明日にする
# by NABE_TK | 2023-01-15 23:49